もうかれこれ25年ぐらいサウナに通ってるなぁ
センター開設当初24時間オープン時はあまり行けなかったが、今は週1回は行く。
以前は新宿コマ地下の東宝サウナに行ってたが1月末に閉店してから、歌舞伎町内のグリーンサウナにお世話になってる。
だいたいサウナ12分 水風呂(20℃)に約5分〜8分 その後イスで10分ぐらいを1セット、これを3セット行う。
最近思うに サウナもいいけど水風呂が最高やな 何もかも無の状態 頭が真空状態 真っ白。
その後 恒例の垢すり30分 気持ちええの何のってこれまた最高ですな
で、2時間ほどのリフレッシュタイムが終わる。
いつもながら 至高の極みです。思考の極みとも言う。
センター開設当初24時間オープン時はあまり行けなかったが、今は週1回は行く。
以前は新宿コマ地下の東宝サウナに行ってたが1月末に閉店してから、歌舞伎町内のグリーンサウナにお世話になってる。
だいたいサウナ12分 水風呂(20℃)に約5分〜8分 その後イスで10分ぐらいを1セット、これを3セット行う。
最近思うに サウナもいいけど水風呂が最高やな 何もかも無の状態 頭が真空状態 真っ白。
その後 恒例の垢すり30分 気持ちええの何のってこれまた最高ですな
で、2時間ほどのリフレッシュタイムが終わる。
いつもながら 至高の極みです。思考の極みとも言う。
9月9日火曜日(大安)、
Gen-Syileサイトのリニューアルを予定している。
そのための準備を進めている。
今回のサイトは今までのものよりも、ボリュームが大きくなるのだ。
ここで、お知らせ。
10月5日に札幌で、出張駆け込み寺を開催する。
詳細は、新宿救護センターのサイトをご覧下さい。
Gen-Syileサイトのリニューアルを予定している。
そのための準備を進めている。
今回のサイトは今までのものよりも、ボリュームが大きくなるのだ。
ここで、お知らせ。
10月5日に札幌で、出張駆け込み寺を開催する。
詳細は、新宿救護センターのサイトをご覧下さい。
今年に入って運動不足解消のため、一日一万歩を日課に散歩も兼ねて歩いてる。自宅往復だと約4000歩しかない 新宿中央公園経由だと約8000歩 まだ足らん あとは歌舞伎町界隈をブラブラと歩いて調整と、ま!そういう具合に歩いてるんやけど意外と無意識にあちこち歩いてたらクリアしてるときもある。決めたからには頑張らないと と思いつつ万歩計とにらめっこ、早や六ヶ月 達成率79パーセント 体重は変わらず(多少増加ぎみ)やけど体力は少しついたかな?腰痛は軽減した。さて、後半無理なくぼちぼちやります。しかし、ビールの美味しい季節やなぁ(^0_0^)
今年前半は、忙しかったなぁ
トミさんの入院から3ヶ月目でのお別れ。
職員の入れ替わり
6周年チャリティーイベント
原宿トークライブスタート 第一 第三月曜 2回終了(全24回)
さて、今月20日から4日間は出張のため不在です(休暇も含めて)
多少 日焼けして鋭気を養って帰ってきます。
最近中々疲れが取れず疲労ぎみだったので、ちょっと足をのばして南へ・・・
心身養生して、後半がんばります。
第9弾 構想 執筆がはじまります。今回はもっと心層に迫りたいとおもう。
玄 秀盛
トミさんの入院から3ヶ月目でのお別れ。
職員の入れ替わり
6周年チャリティーイベント
原宿トークライブスタート 第一 第三月曜 2回終了(全24回)
さて、今月20日から4日間は出張のため不在です(休暇も含めて)
多少 日焼けして鋭気を養って帰ってきます。
最近中々疲れが取れず疲労ぎみだったので、ちょっと足をのばして南へ・・・
心身養生して、後半がんばります。
第9弾 構想 執筆がはじまります。今回はもっと心層に迫りたいとおもう。
玄 秀盛
六周年、大盛況で終わった。
やれやれって感じ 今回はいつもどおりじゃなく前半は緊張のひとときであった。
さて、6月2日 原宿にて 定期ライブが始まる 第一月曜と第三月曜の月2回3時間 毎回ゲストを交えてのトーク&ライブ。入場無料 定員80名程 24回やります。
話しはかわりますが・・・・当センターの職員であった 「奥山とみ子」
5月25日 イベント当日読ませていただきました。
奥山さんから皆さまへ
本日は、お忙しい中お集まり頂きましてありがとうございました。
いつも明るく元気な奥山さんの、突然のこのようなお知らせに驚かれた方も少なくないと思います。 入院中、調子が悪いときにお見舞いに来られた方に「代わりに説明して」と頼まれていた者として、詳細をご存じない皆さまにも、きちんとお伝えしなければと思いました。
奥山さんが大久保病院に入院したのは、今年の2月6日のことでした。
「奥山です」
本日、新宿の大久保病院に緊急入院しました。
入院はもっと先にしたかったのですが、もちませんでした。
へたすると、長期かも…
でも、私は、元気です。
迷惑掛けてごめんなさい。 (頂いたメール、原文のまま)
「緊急入院」? でも「元気です」って???
翌日、慌てて飛んで行った私に、奥山さんから告げられた病名は「乳ガン」でした。
(後から聞いた話しでは、職場から車イスで運ばれて、そのまま入院となったそうです)
入院の2日後から「抗ガン剤治療」が始まりました。
「何とか終わった治療一日目」
本日は、つつがなく終了致しました。
乳腺チームの部長の「あんたは、大丈夫だろう」の言葉を、
疑いも無く信じてます。 (頂いたメール、原文のまま)
さすが、リクルート在職時代に「コイツだけは殺しても死なない」と言われた奥山さんなので、「抗ガン剤」くらいではびくともしないのだと感心しました。
ただ、やはり、続けて始まった放射線とのW攻撃には耐えられなかったようで、その後、計5回に及んだ「抗ガン剤」投与の度に激しい副作用と闘うことになりました。
入院した段階で、既にガンはリンパ・肺・骨等にも転移していて、手術出来ない状態でした。
ただ、本人には「抗ガン剤と放射線で叩いて、ガンが小さくなったところで手術をする」と言われていて、そのために「体力も付けなくてはならない」と、リハビリにも取り組んでいました。
副作用で苦しんでいる間は、お見舞いに行っても「今日は帰って」とハッキリ言われることもありました。でも、そのことをちゃんと覚えていて、副作用が収まると「この前は、調子が悪くてホントにゴメンネ」と謝っていました。(調子が悪い間にみえて、その後会えなかった方に「○○さんには、せっかく来て貰ったのに悪いことをした」とずっと気にしていました。そのたびに「みんなわかっているから大丈夫」と言っていました)
「抗ガン剤」治療も3回目あたりからは
「やっぱり体も学習するのよね。あいかわらず辛いけど、なんとなくつきあい方が分かってきた」とも言っていました。(それでも端から見ると、同じように辛そうだったのでしたけれど...)
5/2に最後の「抗ガン剤」投与があり、その後はまた辛かったようですが、GW明け頃からは副作用も落ちついて、元気な奥山さんが戻ってきていました。
それなのに、最後は突然でした。
亡くなる、ホンの12時間前、いつも通りに会話をして「じゃあ、また明後日ね」と言って別れたばかりなのに。(最後にハイタッチした手は冷たかったですけれど...)
お医者様から
「相当体力があった人だから、ここまでガンバッテ来られたのですが、もう心臓が耐えられなかったようです」と言われました。
亡くなる直前、耳元で、ただ名前しか呼ぶことができませんでした。
もっと長い期間闘病している人からしたら、たった3ヶ月のことでしたが、辛い治療に耐えて頑張っていた奥山さんに、もうこれ以上「ガンバッテ」とは言えませんでした。
幅広い分野で活躍してこられた奥山さんの最後の職場は「新宿救護センター(NPO法人 日本ソーシャル・マイノリティ協会(JSMA)http://www.jsma.jp/」でした。
(今回の入院から葬儀告別式まで、こちらの玄代表と加藤理事長がご家族の代わりに全面的なサポートをしてくださっています。)
間にブランクもありましたが、こちらで約5年、様々な問題を抱えて訪ねてこられた方の相談に乗ったり、いろいろな活動をされてきました。(入院中「今の仕事が天職だったみたいね」と言ったら「そうだと思う」と答えました。)
今の仕事に情熱を持って取り組み、そしてセンターのことを愛していました。(玄さんのことを...愛していたかどうか、一度聞いてみればヨカッタ...かな?)
入院中も、ずっとセンターのことを気にかけていて、「新しい人は大丈夫か?」「5月のイベントの準備は進んでいるか?」と会いに行く度に話していました。(遺された手帳に書いてあったのもセンターのことばかりでした。「台所の整理」「外のラックの整理」「ゴキブリ捕獲チェック(?)」とか...)
「退院したら、お世話になった分、死ぬまでセンターで働いて返さなくっちゃ」と言い続けていたので、唯一の心残りがあるとすれば、それはセンターのことだと思います。ですので、お集まり頂いた皆さまには、形はどうあれ奥山さんの代わりにセンターの活動を見守って頂けたら、それは奥山さんにとって一番の供養になると思います。
奥山さんの今後についてですが、奥山家のお墓は八丈島にあり、既にお父様が眠っていらっしゃいます。ですので、奥山さんもこちらに入られます。
お一人遺されたお母様は、施設に入所されることになり、現在のご自宅も引き払うこととなりました。
したがいまして、今後、奥山さんに関しての連絡先は無くなってしまいます。たいへん寂しいことではありますが、ご承知おき頂きたくお願い申し上げます。
(上記理由から、会葬御礼に連絡先が明記してありませんことの非礼をお許しください)
都内ではありますが、「八丈島」は、やはり遠いです。
でも、台風シーズンには必ず見かける地名ですので、そのときには奥山さんのことを思い出してください。(気象衛星の写真、台風の渦巻きをよく見たら、奥山さんが上でクルクルと回っているかもしれません)
長くなりましたが、最後に奥山さんから皆さんへ
今まで出会ってきた全ての方への感謝の気持ちと、大事なひと事
「みんな、ちゃんとガン検診受けてね。私のようにならないように...」
平成20年5月16日
奥山とみ子さんの友人
伊藤 雅子
やれやれって感じ 今回はいつもどおりじゃなく前半は緊張のひとときであった。
さて、6月2日 原宿にて 定期ライブが始まる 第一月曜と第三月曜の月2回3時間 毎回ゲストを交えてのトーク&ライブ。入場無料 定員80名程 24回やります。
話しはかわりますが・・・・当センターの職員であった 「奥山とみ子」
5月25日 イベント当日読ませていただきました。
奥山さんから皆さまへ
本日は、お忙しい中お集まり頂きましてありがとうございました。
いつも明るく元気な奥山さんの、突然のこのようなお知らせに驚かれた方も少なくないと思います。 入院中、調子が悪いときにお見舞いに来られた方に「代わりに説明して」と頼まれていた者として、詳細をご存じない皆さまにも、きちんとお伝えしなければと思いました。
奥山さんが大久保病院に入院したのは、今年の2月6日のことでした。
「奥山です」
本日、新宿の大久保病院に緊急入院しました。
入院はもっと先にしたかったのですが、もちませんでした。
へたすると、長期かも…
でも、私は、元気です。
迷惑掛けてごめんなさい。 (頂いたメール、原文のまま)
「緊急入院」? でも「元気です」って???
翌日、慌てて飛んで行った私に、奥山さんから告げられた病名は「乳ガン」でした。
(後から聞いた話しでは、職場から車イスで運ばれて、そのまま入院となったそうです)
入院の2日後から「抗ガン剤治療」が始まりました。
「何とか終わった治療一日目」
本日は、つつがなく終了致しました。
乳腺チームの部長の「あんたは、大丈夫だろう」の言葉を、
疑いも無く信じてます。 (頂いたメール、原文のまま)
さすが、リクルート在職時代に「コイツだけは殺しても死なない」と言われた奥山さんなので、「抗ガン剤」くらいではびくともしないのだと感心しました。
ただ、やはり、続けて始まった放射線とのW攻撃には耐えられなかったようで、その後、計5回に及んだ「抗ガン剤」投与の度に激しい副作用と闘うことになりました。
入院した段階で、既にガンはリンパ・肺・骨等にも転移していて、手術出来ない状態でした。
ただ、本人には「抗ガン剤と放射線で叩いて、ガンが小さくなったところで手術をする」と言われていて、そのために「体力も付けなくてはならない」と、リハビリにも取り組んでいました。
副作用で苦しんでいる間は、お見舞いに行っても「今日は帰って」とハッキリ言われることもありました。でも、そのことをちゃんと覚えていて、副作用が収まると「この前は、調子が悪くてホントにゴメンネ」と謝っていました。(調子が悪い間にみえて、その後会えなかった方に「○○さんには、せっかく来て貰ったのに悪いことをした」とずっと気にしていました。そのたびに「みんなわかっているから大丈夫」と言っていました)
「抗ガン剤」治療も3回目あたりからは
「やっぱり体も学習するのよね。あいかわらず辛いけど、なんとなくつきあい方が分かってきた」とも言っていました。(それでも端から見ると、同じように辛そうだったのでしたけれど...)
5/2に最後の「抗ガン剤」投与があり、その後はまた辛かったようですが、GW明け頃からは副作用も落ちついて、元気な奥山さんが戻ってきていました。
それなのに、最後は突然でした。
亡くなる、ホンの12時間前、いつも通りに会話をして「じゃあ、また明後日ね」と言って別れたばかりなのに。(最後にハイタッチした手は冷たかったですけれど...)
お医者様から
「相当体力があった人だから、ここまでガンバッテ来られたのですが、もう心臓が耐えられなかったようです」と言われました。
亡くなる直前、耳元で、ただ名前しか呼ぶことができませんでした。
もっと長い期間闘病している人からしたら、たった3ヶ月のことでしたが、辛い治療に耐えて頑張っていた奥山さんに、もうこれ以上「ガンバッテ」とは言えませんでした。
幅広い分野で活躍してこられた奥山さんの最後の職場は「新宿救護センター(NPO法人 日本ソーシャル・マイノリティ協会(JSMA)http://www.jsma.jp/」でした。
(今回の入院から葬儀告別式まで、こちらの玄代表と加藤理事長がご家族の代わりに全面的なサポートをしてくださっています。)
間にブランクもありましたが、こちらで約5年、様々な問題を抱えて訪ねてこられた方の相談に乗ったり、いろいろな活動をされてきました。(入院中「今の仕事が天職だったみたいね」と言ったら「そうだと思う」と答えました。)
今の仕事に情熱を持って取り組み、そしてセンターのことを愛していました。(玄さんのことを...愛していたかどうか、一度聞いてみればヨカッタ...かな?)
入院中も、ずっとセンターのことを気にかけていて、「新しい人は大丈夫か?」「5月のイベントの準備は進んでいるか?」と会いに行く度に話していました。(遺された手帳に書いてあったのもセンターのことばかりでした。「台所の整理」「外のラックの整理」「ゴキブリ捕獲チェック(?)」とか...)
「退院したら、お世話になった分、死ぬまでセンターで働いて返さなくっちゃ」と言い続けていたので、唯一の心残りがあるとすれば、それはセンターのことだと思います。ですので、お集まり頂いた皆さまには、形はどうあれ奥山さんの代わりにセンターの活動を見守って頂けたら、それは奥山さんにとって一番の供養になると思います。
奥山さんの今後についてですが、奥山家のお墓は八丈島にあり、既にお父様が眠っていらっしゃいます。ですので、奥山さんもこちらに入られます。
お一人遺されたお母様は、施設に入所されることになり、現在のご自宅も引き払うこととなりました。
したがいまして、今後、奥山さんに関しての連絡先は無くなってしまいます。たいへん寂しいことではありますが、ご承知おき頂きたくお願い申し上げます。
(上記理由から、会葬御礼に連絡先が明記してありませんことの非礼をお許しください)
都内ではありますが、「八丈島」は、やはり遠いです。
でも、台風シーズンには必ず見かける地名ですので、そのときには奥山さんのことを思い出してください。(気象衛星の写真、台風の渦巻きをよく見たら、奥山さんが上でクルクルと回っているかもしれません)
長くなりましたが、最後に奥山さんから皆さんへ
今まで出会ってきた全ての方への感謝の気持ちと、大事なひと事
「みんな、ちゃんとガン検診受けてね。私のようにならないように...」
平成20年5月16日
奥山とみ子さんの友人
伊藤 雅子


